2012年 01月 17日

あれから17年・・

神戸に大きな地震が起きたあの朝から17年の歳月が流れました。
月日の流れは早いですね。
あの日、地震でお父さんを亡くされたお嬢さんは当時3歳。
そのお嬢さんが成人式を迎え、式で代表として挨拶をされていました。

「震災で無くしたものは計り知れないが、引き替えに命の大切さや
人の温かさなどを教えてもらった」と話していました。
これはきっと誰もが体験した思いだったことでしょう・・

以前にもブログで書いたことがありますが当時、夫は京都で単身赴任中。
たまたま震災当日が胃の検査の日だった為、神戸での滞在が1日延びたのでした。
そして、幸か不幸か家族みんなで震災を体験。

電気もガスも水道も止まり、家財が散乱した我家で家族の無事を確認した後、
高度成長期、最後の世代のサラリーマンの頭をよぎった事は・・
「3日後に東京の本社で会議がある・・」

当時、鉄道も大きな被害を受けましたが翌日の18日から阪急電車は西宮北口まで、
阪神電車は甲子園まで動き出していました。
「西宮北口駅まで歩き、取りあえず京都の借り住まいまで行こう・・!」
それぞれが取りあえずの荷物を抱え、歩き出しました・・
問題は当時飼っていたポメラニアンのチビ助。
しつけが悪く、リードを付けて歩かない・・
もうおんぶして歩くしかない。
私は山歩き用に「神戸ザック」で作ってもらっていた少し大きめの赤いザックに
チビ助を入れ、歩きやすい運動靴を履いて、駅を目指して黙々と国道2号線を
歩いたのでした。
夫はといえば・・
会社から着て帰っていたスーツにオーバーコートを着、皮靴にアタッシュケース。
ジャンパーを着てリュックを背負い、駅を目指して黙々と歩く人々の列の中で
夫は一人、違和感を感じる姿格好でした・・(苦笑)

2号線を歩きながら目にする東灘区、芦屋の街の惨状は本当にひどいものでした。
つぶれた家々、倒れた電柱、粉々に割れた大きなビルのショーウィンドー・・
阪急西宮駅に向かうたくさんの人列は
しゃべるわけでもなく・・
怒るわけでもなく・・
泣くわけでも笑うわけでもなく・・
ただ黙々と無表情で歩く・・
戦後、満州から引き揚げてきた人たちはどんな気持ちで歩いていたのだろう・・?
ふと、そんなことまで考えながら歩いていたことを思い出します。

今日は朝から今までの1月17日の私のブログを読み返していました。
1年前2年前3年前4年前
たくさんの方にお世話になりました・・。
私の人生の中で「阪神淡路大震災」は忘れることのできない一番大きい出来事・・と
思っていましたが昨年はまた違った意味でそれ以上とも思える大きな衝撃的な
大災害が起こりました。
いつまでも忘れないこと・・、語り伝えること・・、大事なことですね。
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by ikako-27 | 2012-01-17 12:07 | 暮らしのスクラップ


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